医療法人 浩正会スズキ病院 電話番号
 €Home > 看護日誌 ■ 交通のご案内


看護日誌 一覧
 2017.12.03  患者さんからの手紙
 2017.11.13  看護師になって
 2017.10.04  練馬大鳥神社酉(とり)の市
 2017.09.01  子供たちの笑顔が見たくて…
 2017.08.18  感謝する心
 2017.07.04  マイケルとの出逢い
 2017.06.10  姉から受けた刺激
 2017.05.09  1年経って改めて思うこと
 2017.04.19  酒粕スコ-ンの作り方
 2017.03.15  初めての転職
 2017.02.05  ケニアでの体験
 2017.01.02  長いブランクを経て
 2016.12.23  教えてもらう立場から教える立場へ
 2016.11.22  看護職に復帰して
 2016.10.06  東京に来てはまった事
 2016.09.02  出来た時の喜びを感じて
 2016.08.18  自己紹介
 2016.07.13  私の看護日誌
 2016.05.20  日常生活の中の絶景
 2016.04.22  忘れられない出来事
 2016.04.03  スズキ病院で5年が経過した今…
 2016.03.15  きょうだい
 2016.02.01  私のふるさと
 2016.01.02  本のつながり
 2015.12.04  看護研究の取り組みについて
 2015.10.31  京都の魅力
 2015.09.18  両親の入院を通して
 2015.08.09  練馬の夏の過ごし方
 2015.06.27  看護師不足の中で
 2015.05.13  今思うこと
 2015.04.15  私の好きなこと
 2015.03.14  癒されてます。
 2015.02.11  私の家族
 2015.01.10  初めての転職
 2014.12.15  DIYの楽しさ
 2014.11.07  楽園以上のところ
 2014.10.03  親友との出会い
 2014.09.11  成長したね、これからも…ね
 2014.08.02  ペットの魅力
 2014.07.06  42歳からの再出発
 2014.06.11  私似の娘
 2014.05.10  私の健康法
 2014.04.27  みんな誰かのアイドル
 2014.03.04  小さな診療所
 2014.02.10  最近のハマリ事
 2014.01.01  「世間知らずの看護師」にならないために
 2014.01.01  看護師の役割
 2013.12.17  時間
 2013.08.18  高齢者の生活についてあらためて思うこと
 2013.07.02  トウキョウ
 2013.05.02  コミュニケーション術
 2013.03.26  私が看護師になった理由
 2013.03.01  夢だったことが今
 2013.02.13  再出発
 2013.01.05  大切な人
 2012.12.07  私の目指す看護
 2012.10.27  旅行という非日常
 2012.10.04  小さなよろこび
 2012.09.02  旅行
 2012.07.30  無影燈を紹介します
 2012.07.02  あれから もう10年
 2012.06.06  新たな挑戦
 2012.05.01  迷いの森を抜けて
 2012.04.01  医療系ドラマって・・・
 2012.03.03  義母との別れ
 2012.02.08  3・11
 2012.01.01  大切にしているもの
 2011.12.01  相田みつをさんの詩を読んで
 2011.11.03  原点に返れる場所
 2011.10.13  趣味になってしまった・・・
 2011.09.04  地震を経験し思うこと
 2011.08.02  私の気分転換~8月~
 2011.07.05  私の気分転換~7月~
 2011.06.10  大切にしていること
 2011.05.04  心の風景
過去の看護日誌はコチラ    

看護日誌
 
  義母との別れ

  
  外来看護師
  
  渡辺 美代子
  
 

 昨年10月、栃木に住む義母がこの世を去った。享年76歳だった。平均寿命から考えると、少し早すぎた。
 同年、5月頃、「だるいし、食欲もない、近くの病院で血液検査をしたら、白血球が3万を超えている。大学病院の血液内科の紹介状をもらった」と元気がない。白血病?一瞬頭をよぎったが、一見気が強そうに見える母だが、実は小心者だとわかっていたので、差し障りのない事を話し励ました。通院で検査しているうちに、症状が悪化し6月下旬には、大学病院へ緊急入院した。医師から告げられた病名は、腹膜がん、腹膜播種、肝臓転移、進行の早い病気で、余命6ヶ月。ある程度覚悟はしていたが、息子3人、嫁3人でしばし呆然としてしまった。母には、肝臓転移と余命は伏せて、長男が話した。母は、「覚悟していたから」とは言っていたが、2,3日元気がなかったようだ。それからは、今までの親不孝をわびつつ、出来る限り、主人と病院へ足を運んだ。「おなかが張る」「食欲がない」と訴えるが、美食家の母から「何を食べてもまずい」という言葉を聞くのが一番つらかった。しかし、いつも私たちを歓迎してくれ、多弁で話が尽きなかったことが救いだった。
 10月に入ると、さらに病状は悪化し、「兄弟仲良くすること」「孫たちには・・・」と遺言めいたこと言い出した。16日、意識もうろうとする母を息子3人が囲み、黙ってしばらく眺めていたよ、いい光景だったよ、と娘から聞き、胸が熱くなるとともに嫌な予感がした。翌日、長男より亡くなった、と連絡が来た。母の顔はとても安らかだった。「お疲れさま、何もしてあげられずにごめんなさい」と、わびながら涙がしばらく止まらなかった。
 通夜、告別式では、斎場一杯の弔問客が、母の死を惜しんでくれた。あたりまえだが、そこに母は居ない。旅館の一人娘に生まれ、商売の事、渡辺家の行事一切を仕切っていた母が居ない。意識したことがなかったが、改めて母の存在の大きさを知り寂しくて仕方なかった。食べ物を送ると、はっきり「いまいちだった」という母、初めの頃はカチンときたが、その代わり、美味しい時は、「美味しかったよ、ありがとう」と、とっても喜んでくれた。そんなはっきりした性格の母に徐々に慣れ、気が合ったし、可愛がってもらった。
 主人と出会い25年、母には、あらゆる面で助けてもらった。今、私達家族が平穏に生活できるのは、母のお陰といっても、決して過言ではない。感謝の気持ちでいっぱいだ。

  管理ページ
© Copyright 2024 Kouseikai Suzuki Hospital All Rights Reserved.