2005.3.29

元子のヒヤリ?ホッと
2病棟 谷口 元子

   私が免許を取得して間もない頃(約25年前)に勤めていたY病院での出来事をお話します。

 Y病院の院長は「虫垂炎の手術の件数は1万人を下らない。日本で一番かも知れん。」といつも自慢をしていました。確かに毎日虫垂炎の手術が数件あったし、夜間に2〜3人手術することも稀ではありませんでした。周りではY病院は盲腸でビルを大きくした“盲腸御殿”と呼ばれていました。

 事件は少し寒くなりかけた9月頃、私が夜勤のときに起きました。夜中の12時頃、お腹が痛いと救急車で運ばれて来た患者さま、お腹の診察をしたあと、いつものように耳から採血をして顕微鏡で簡単に白血球を数えて「急性虫垂炎です。すぐに手術しましょう。」 有無を言わせず入院、手術となりました。(白血球の数が多いということは、体のどこかに炎症が起きているという可能性を示すことになります。)「Mさん手術の準備をして!それから手術室を暖めておくのもわすれないで!!」「はーい」 私は患者さまを病室に案内し、早速手術室の準備に行きました。セットされている虫垂炎手術の機械をシンメル(消毒する器具の名前)に入れ煮沸させる。手術室にある石油ストーブ(これも院長の自慢の一つで“アラジン”というドイツ製の立派なものらしい)に火を点ける。患者さまの手術の前処置をしなければと後も振り返らず手術室をでました。20〜30分たった頃行ってみると・・・何が起きたのか理解するのに何秒もかかったような気がします。手術室が真っ黒け?! あの“アラジン”が不完全燃焼のため噴煙を撒き散らしていたからです。「せんせ〜い たいへんですオペ室が〜」さんざん叱られたあと「30分後にはオペを始めるから出来るようにしておいて」「え〜これで出来るんですか」「出来るようにしなさい!それから責任をもってオペ室をきれいにすること!」 とりあえず必要な物や場所を拭き整えて手術は滞りなく終えることができましたが、その後 仕事の合間をぬっては手術室へ掃除に通う日々は続きました。火事になっていら・・・と思うと背筋が凍り、患者さまの命に影響がなかったこと、“盲腸御殿”を黒焦げにしなかったことにホッとした出来事でした。

・元子は沖縄出身で石油ストーブに火を点けた経験がすくなかった
・手術室を石油ストーブで暖めることを心のどこかでバカにしていた
・火を点けた後確認しなかった
・次にやることがたくさんあり気が急いていた
・夜間で眠かった

[結論]
今までの多くの経験を経て今の自分があると思います。また多くの人に支えられ、迷惑をかけてきた人生だとも思います。スズキ病院での3年間もとても貴重で看護師として人として多くを学ばせていただきました。ありがとうございました。
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