2007.7.7

看護師までの道のり
2病棟看護師  廣畑 幸

 あれは高校3年生の夏の事です。進路指導の先生のある一言で今の私がある、と言っても過言ではありません。

 高校当時、特にこれといった希望職種も無く、親からずっと言われ続けてきた地元のJAへの就職をどう断ろうかと考えていた私に対して、「これからの将来、会社勤めは再就職が難しく、手に職をつけていれば離婚しても子供を養っていく事も出来る。お前は看護師なんて仕事に興味はないか?」と言われ、当時の私は看護師の魅力も遣り甲斐もそして苦労も全然分からなかったけど、地元のJAの仕事をどう断ろうかとばかりを考えていた為、口実作りも兼ねて、「じゃあ看護学校に入ります!」と言い放ち、進路用紙の希望職種欄に「看護師」と書いて提出したのが全ての始まりでした。しかも学校が薦める看護学校が名古屋にあるということで、地元から一度は離れたかった私はまさに一石二鳥の気分でした。その後の地獄が待っているとは知らずに・・・・。看護学校は初っ端からアマちゃんの私の考えを見事に吹き飛ばしてくれました。慣れなくハードな仕事と厳しい学業を掛け持ちしながらの生活は、正に今までに経験したことの無いものでした。加えて緊張のせいか体重も減り、今考えると、二度と戻りたくない環境でしたがなぜかホームシックだけにはならなかったのが、今思えば不思議でしょうがありません。無我夢中の毎日を過ごし看護の世界を1年ほど経験した時には、いつの間にか入学時の「看護師になりたい」から、「絶対なってやる」という気持ちで仕事をしていたのを今でも覚えています。

 安易なきっかけで臨んだ看護師という仕事も気が付けば十数年。人の命を預かっているんだという重圧感に何度も逃げ出したくなりましたが、沢山の患者さまの笑顔に助けられ、今日までやってくることができました。そして何よりも病院で出会った看護師仲間に感謝です。辛い時、悲しい時などいつでも相談に乗ってくれた先輩や、苦労を共にした仲間達と出会えたのは、私の宝です。まだまだ看護師人生は続くと思いますが、最後の最後まで看護師をやってきて良かったと思えるよう、これからも頑張っていきたいと思います。きっかけを作ってもらった高校の生活指導の先生に感謝の気持ちで一杯です。どうもありがとうございました。
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