2008.8.11

あなたがいるだけで・・・
1病棟看護課長・津田三津枝

 9年前に、発症して5年目を迎えたALSの患者、Tさんと出会いました。Tさんは、元来とても行動的な専業主婦だったそうです。その彼女が50歳を過ぎた頃、四肢に力が入りにくいという症状が現われ、都立病院でALSと診断されたのです。

 5年後には歩行困難となり、呼吸も苦しくなり気管切開を決断する時をむかえました。ALSの患者さまは誰もがこの難しい岐路にたたされます。Tさんご夫婦にとっても同様でした。不治の病であり、延命を希望するかどうか苦渋の選択に迫られたのです。Tさんはまだ60歳前で、一人娘の結婚もこれからという時でしたので気管切開を受ける決断をしました。しばらくは精神状態が安定せず自殺をも口にする日々だったようですが、間もなくして在宅調整目的でA病院へ転院してこられました。
 初めてお会いした時は顔の表情が険しくすぐに泣いてしまい、我々スタッフは腫れ物に触るおもいでした。完全四肢麻痺、胃ろう管理、人工呼吸器装着、会話は頚部にバイブレーターをあててという状態でした。精神的に落ち着きを取り戻しはじめたので、在宅退院の準備となり、主治医・訪問医・病棟看護師・MSW・ケアーマネージャー・訪問看護ST・訪問ヘルパーST・巡回入浴サービス・訪問リハビリ・保健師・呼吸器レンタル会社、そしてご主人と総勢10名は超えるスタッフで何度もカンファレンスを行いました。退院前には自宅マンションを訪れ、エレベーターの広さ、つまり呼吸器とリクライニング車椅子が同時にのるかの確認やベッドと呼吸器の配置を想定できるよう訪問してのシュミレィーションも必要でした。
 それから9年が経過し、自宅と病院とを3ヶ月毎に入退院を繰り返しながら在宅療養を続けています。発病してから14年という歳月は70歳を過ぎたご主人の健康にも変化が現われてきており、どんなに手厚く介護体制を整えていても主介護者の夫への負担はかなり大きいです。持病の腰痛症が悪化している他、Tさんとのコミュニケーションがとりにくくなってきてご主人の苛立ちがあきらかに見てとれました。現在はわずかに動く頬筋にセンサーをおきパソコンをつかっての会話です。そのご主人に対してTさんはいつも申し訳ないと涙をこめながら看護師に話されます。 ご主人はTさんの気持ちを十分に理解されていますが、なかなか互いに表現しあえずにいます。時々、看護師が間に入りTさんの思いをお伝えすると、夫は柔和な表情となりうっすらと涙をため、「なに、バカ言ってるんだ。お母さんがいなっくちゃ...」と答えるのです。とても大切な会話です。

 このお二人から“生きるってなんだろう...生かされているってなんだろう...”と無言の教えを受けました。どんなに不自由な身体であっても、誰かのために自分が必要とされているということ。この教えは、いつも私を励まし勇気を与え続けてくれています。お二人との出会いは神様から私へのおおきな贈り物です。
Copyright© Kouseikai Suzuki Hospital All Rights Reserved.