看護学校進学の為に、上京してから三十数年の歳月が過ぎた今も、懐かしく心に残る風景がある。それは、家電製品がなく、殆どが自給自足で、農作業も「結(ゆ)い」と言う寄り合いで皆が助け合って生活していた東京オリンピックの頃の「正月の風情」です。私の故郷、沖永良部島(おきのえらぶじま)は鹿児島から約500kmに位置し、周囲わずか60kmの隆起珊瑚礁から成る平らな島です。四季を通じて温暖で、サトウキビの生産や鉄砲ゆり、フリージアなどの切花の生産で生計を営み、かつては、琉球王朝や薩摩藩、アメリカの統治下に在った歴史を持ち、史跡や民謡も豊富で、人情に溢れた島です。
大晦日近くになると、父は門松の準備、母は餅つきの準備で忙しくなる。子供達は、隣、近所で子供会を作り、真っ白な砂を浜辺まで汲みに出かける。砂汲みは昔から子供の役目でした。バケツや竹ザルで運ぶが、一、二杯では屋敷中の庭に敷き詰めるには足らず、断崖の坂道を何往復もしなければならない。皆でワイワイガヤガヤ賑やかに、バケツを頭にのせて運ぶのが楽しい。庭のあちらこちらに幾つもの大きな砂山が増える。砂山が増えるほどに、「もうすぐ正月だ~」と心が弾んだ。子供がいない家や老人だけの家にも砂を汲み届け、皆で正月の準備をした。いよいよ、元旦の朝である。屋敷は、軒先から門松の立つ石垣門まで、真っ白な砂が敷き詰められて、箒の目が付いている。誰の足跡も付いてない庭は眩しい。まるで、白銀の世界。真っ白な砂を撒く慣わしは、その年の年神様をお迎えする為の清めの儀式らしい。砂を敷き詰めて箒の目を入れるのは、家長である父親の役目でした。細かくやわらかい真っ白な砂の流紋を見ると子供の私でも、神々しい神聖な気持ちになりました。下駄を履いて砂の上を歩くと、キュッ、キュッ、ジャリ、ジャリと足音がする。この足音が門の辺りから聞こえると来客なのです。子供にとっては、何より嬉しい足音でした。決して降る事のない南の島の雪の風情、趣のある正月の風情は、島の人々が神々への感謝と祈りの念を持って協働して守り伝えてきた伝統行事である。心の原点である、「あの風景」は、今も、続いているだろうか。
看護の道を目指して学び、悩み、迷い。看護の道を歩み、学び、悩み、迷い。もう37年にもなる。大学病院勤務、在宅看護、そして今、スズキ病院3年目。13年ぶりの病院勤務だが看護の歩みを止めたことはない。この道が好きだから。「看護は人が人の感情に働きかける感情労働」「どんな人にも、その人の中にその人に平安をもたらすものがある。それを発見していく科学的な取り組みが看護」とある人が言った。「その人の為に何が出来るかを探求する看護」が私の理想。しかし、医療、看護の現場は時間的な効率が求められ、記録開示が求められ自己責任が問われる。細分化された高度な専門性が求められるなど、大きく変動にしている。その変化に戸惑いながらも、外来では若い仲間や患者様から、看護婦ではなく、看護師に成長する為に学び、遣り甲斐を持って働いています。
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